生活が苦しいときは、人の情けが一層身にしみるものです。配付された白米のおかげで、その日の家族の食糧を心配することがなくなったので、昼間に資源回収をすることができました。
「今日は慈済に助けられた日ですが、それだけではなく、私も誰かの力になることができました」
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ヴァレンズエラ市454世帯の低所得家庭が慈済に感謝の気持ちを表した。 |
ここはフィリピンのヴァレンズエラ市にあるゴミ処理場である。虫の羽音を耳障りに感じながらも、ジョスリン・ダガールはゴミの分類に精を出していた。二歳になる子供は静かに隣に座っている。マニラ首都圏にあるヴァレンズエラ市だが、多くの住民は資源回収を生活の糧としている。ダガール家も例外ではなかった。
運がよい日には、ジョスリン夫婦は瓶の回収で二百ペソ(約四百四十円)稼げる。これを計画的に使わないと家族を養うことは難しい。子供は三人いるのである。もし資源回収がゼロだと、その日は一食で過ごさなければならない。一食も食べられない日さえあるのだ。
今年一月十九日、ダガール家に転機が訪れた。慈済基金会より二十キロの台湾愛心米が送られたのである。ヴァレンズエラ市人民公園で慈済の物資配付活動が行われ、四百五十世帯の低所得家庭が援助の恩恵にあずかった。
「このお米で私たちの生活はとても助かりました」と三十八歳のジョスリンは言う。「ここで生活していくのは容易ではありません。収入が少ないと食べることができない日もありますから。これで食費の予算を子供達の学費にあてることができます」と話す。
援助を受けたのは、市によって生活条件および収入源に起因する低所得家庭という認定を受けた人々である。その中にはフィリピン政府の麻薬取り締まり政策によって一家の大黒柱が強制治療を受けることになり、生活が困難になった家庭も含まれる。慈済ボランティアは家庭訪問を行い、彼らの貧困状態を理解し、長期ケアが必要であると判断したので毎月白米を送ることにしたのだった。
この素晴らしい知らせに、五十二歳のマー・テレサ・マヒデンは歓喜した。配付があった日は早速昼食にご飯を炊いた。「平日は一食なのです。一日一キロ買い、また翌日余裕があれば一キロ買います。売り上げがあった日だけお米を買っていました」と話す。
テレサの夫は三輪車タクシーの運転手である。昨年麻薬中毒の強制治療を受けることになり、その間一家は大黒柱を失った。建設作業員の長男が一家十二人の暮らしを背負い、テレサも小さな店を開いて家計を助けていた。
慈済ボランティアが訪れると、小さな店先にサンダルや子供服が並んでいた。運がよいと一日の売り上げは五十ペソ(約百十円)、食べるだけがやっとの金額だ。
毎月愛心米をもらえるようになり、その分のお金を店で売る品物の仕入れに回すことができるようになった。彼女にとっては宝物を得たのと同じだった。うれし涙を拭いながら、「本当に嬉しいです。今までこんなに私たちに関心を持ってくれる人なんていませんでしたから」と話した。
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ジョスリン・ダガールはゴミの分類に精を出していた。2歳になる子供は静かに隣に座っている。
家庭が貧しくでも愛を発揮し、人助けをしたいと願っている。
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掌を上に向けることになったきっかけ
家庭が貧しく、援助を受けている人でも愛を発揮することはできる。貧しいからこそ、助け合うことの大切さを理解できるのだから。
配付活動では、慈済ボランティアが竹筒歳月の様子を語る。「上人はこうお諭しになりました。『善行はお金持ちだけがするのではなく、誰でもできることなのですよ。一滴の水は大河と成り得るのです。金額はいくらでも、積み重なれば、より多くの善を行う力になります」。五十年前、慈済は五銭募金から愛の心を集め始め、助け合う力を積み重ねてきたのだという話を聞き、多くの人が感銘を受け、自分も掌を上に向けられる人間になりたいと願うようになった。
マリンタ区からやって来たギギ・アラジャールは、竹筒に募金しただけでなく、集めたペットボトルや瓶、缶を差し出しました。「昨年の十一月、お墓参りの時期に、慈済ボランティアが墓地で資源回収をしているのを見ました。それをどうするのかと聞くと、資源は毛布や衣服の原料になり、被災者を助けることができるという答えが帰ってきました。だから私は、次にあなた方に会うことができたら、私も資源を提供したいと思っていたのです」
三十七歳のギギは、夫が自ら進んで麻薬中毒患者の強制治療に参加したので、昨年の十月以来、二人の子供を自分で養っている。昼間は菓子やミネラルウォーターを売り、一日多くて三百ペソ(約六百六十円)の売り上げがある。これでは足りないので、資源回収をして家計を補っているという。彼女は慈済が貧しい人たちに米を配付すると聞き、わざわざ自分が回収した分を提供したいとやってきたのだった。「今日は慈済に助けられた日ですが、それだけでなく、私も誰かを助けることができました!」。彼女はとても嬉しそうに満面の笑みを浮かべて話した。
(慈済月刊六〇三期より)
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