慈濟傳播人文志業基金會
大智、大仁、大勇

 

大智、大仁、大勇を以て

群衆の中に入り

慈悲忍辱、柔和剛強を以て

正しいことを貫く

 

三月五日は台湾慈済人の精進の日です。十一カ国の地域において二万人以上の人たちが、テレビ回線を通じて同時に修行をしていました。静思精舎では海外からマレーシア、ミャンマーのボランティアが帰ってきて活動の中で心得たことを話していました。

ミャンマーでは二○○八年にサイクロン・ナルギスが発生して、慈済のボランティアが支援をしていました。その中で近隣国のマレーシアボランティアは長期にわたって関心を寄せています。ミャンマーの菩薩たちを誘って共に現地の苦難の人々を救済してきました。

慈済が貧しい農家に配付した種籾は「福の種籾」といいます。その種籾を植え、その収穫で豊かになった農家は、さらに自分よりも困っている人を助けていました。農民のウ・ティントンは、早期の慈済ボランティアが一日五銭貯金し浄財を貯めた竹筒精神に感動して、毎日お米を洗う前に一握りの米を甕に入れて、一杯になったら貧しい人に分けていました。そのうちに近所の人たちもウ・ティントンに倣って、「お米貯金」と言って実行するようになりました。

また慈済の不殺生の理念を理解した後、ウ・ティントンは農薬を使わずに真心こめて農作物を育て、年々豊作になっていきました。経済状況が良くなった後、彼は田んぼを買い、ここで採れた収穫物は貧しい人たちを助けるために寄付しています。この畑は村人たちから「福田」と呼ばれています。

また、農民のウ・ゼンティンが近隣の八つの農村の人たちに呼びかけて始めた「お米貯金」は毎月五百キロ以上になり、二十八世帯の貧しい人たちに分けています。一粒の米も愛の心を以て集めると俵になるのです。その愛の力は無限大ではありませんか。

 

心の内に修めることは功

外面の行いは徳

内に修め外面の行いが真の功徳

 

慈済はミャンマーで貧民救済をしているだけでなく、病の人にも関心を寄せています。二○○八年からミャンマーの慈済人医会のメンバーは定期的に僻地を回って施療を行っています。この九年間で、白内障手術だけでも五千回を超し、多くの人が暗闇の中に光りを見出しました。

現地の病院を借りて施療を行っていますが、病院の設備が乏しく、患者に食事を出すことができません。そこで慈済人は毎週一回患者にお粥を提供し、九カ月の間に七万回の食事を出しています。

仏教国であるミャンマーの人々は純朴です。二人が一つの茶碗を持っておかゆを取りにくるので、ボランティアが「なぜ一個の茶碗なの」と聞くと「二人で一杯のおかゆで充分です。後は必要とする人たちに残しましょう」と答えました。なんと善良な人たちでしょう。感動しました。

マレーシアのボランティアが長年ミャンマーで善の種子を撒いて福田を耕し、人々の愛の心を結集してきたことは感謝に耐えません。一粒の種子は一抱えもある樹木に成長すると、また無量無数の種子を生みます。こうして菩提の林が大きくなってゆけば、さらに多くの苦難の衆生が救われます。

何を功徳と言うのでしょうか? 内なる心は功を修め、外面でする行いが徳ということです。絶えず奉仕に励み、この世の苦しさを見ることにより無常とは何かを体験することができます。もしも内に自習し外で奉仕するという両面があれば、真の功徳というものです。

 

理を以て自責

忠を以て自恕

任せられた労を恨まず

やれば正しい

 

《法華経‧勧持品》の中に霊山法会の席上で、比丘と比丘尼が仏の授記を得た後、《法華経》を奉持すると発願して、他の国土でこの法を説き弘めることを誓ったとあります。しかしながら娑婆世界では法を説きたくない、なぜならこの地の衆生は傲慢で正直でないからと言いました。

仏陀は生々世々にわたって衆生を済度することを発願され、弟子たちに法を聴いた後は発心して、娑婆世界で法を教えるように諭されました。しかし弟子たちは仏の志を継ごうとしませんでした。悪濁の娑婆世界はどれほどの堪忍を以っても済度は難しいと恐れて、無心ながら罪を犯してしまいました。

仏陀は静かに弟子たちを見回され、仏の御心を理解して苦労を恐れない者が自ら担うことを願っておられました。この時、ある菩薩たちがその場で立ち上がり、仏の前に進み出て合掌して言いました。「もしも世尊が私たちにこの経を講釈されるなら、仏教として広く弘めることを喜んで引き受けます」。その後、これらの菩薩たちは十方世界を行ったり来たりして、衆生に写経や読経、その意義を解説し、法の通りに修行して正念正智を実践しました。

この菩薩たちは仏のおっしゃられた妙法を聴き、仏が弟子たちに授記をされているのを見て、仏の御心の細やかさを知りました。ただ仏陀の関心護念の境地を忍耐強く、その教義を弘めるなら道理の通らない所はないと信じ、また済度できない人はいないと堅く信じていました。

仏陀はどんな人をも見放されず、弟子たちがいつ、どこでも普遍的に法を伝えるよう願われました。「四弘誓願(衆生を無辺に済度することを誓う、無尽の煩悩を断つことを誓う、無量の法門を学ぶことを誓う、無上の仏道の成ることを誓う)」を発願してほしいと。

しかしながら、人はたいてい恐ろしい苦しみや険悪な所よりも心地よく安全な場所にいたいと思うものです。たとえ修行者であっても、娑婆世界には多くの落とし穴があることを知っているので、衆生から遠く離れ関わり合いたくないのです。でも私たちは衆生の苦しみを見るに忍びず、仏の御心を深く感じて、法のため人を募り、大智、大仁、大勇を以てこの世で奉仕しなければなりません。

この菩薩たちは末法世界において、人心がこの上なく傲慢で悪いものと知りながらも、なお勇ましく正法を護持し、たとえその身を捨てても惜しまなかったのです。

現在の世界情勢を見ますと、確かに末法世界です。人心は複雑、邪知、邪見を極めて、あらゆる方法を用いて人を誹謗します。さらにそれに先進の科学技術が合わさって、一人の虚言を万の人が伝え、真実となる世の中です。

そうであっても、発心立願したからには、堪忍が必要で、娑婆世界の悪影響を受けません。「大慈悲を心に、柔和忍辱の衣」を以て柔和の愛で剛強な悪を感化して、自分の実直なソフトパワーを培い、一切を包容することです。

理不尽な侮辱に遭った時は「理を以て自責」することです。つまり自分に間違いがあったのではないかと反省して、善に解釈します。深い愛で責を断ち切るのです。気にかけず、怨みには徳を以て報いることです。そして、正しい理念を信じ、その任務の重さを怨まず、やれば正しいのです。

 

***

 

「私は仏を敬い信じることによって忍辱の鎧とする」とあるのは、忍辱の衣をつけると自然に心身ともに安らかになるという意味です。また丁寧に「四修」を己の心に刻み、外では衆生をよく護りましょう。

四修は次の四つです。

尊重修―仏法を敬い、心を広く純粋に人事物を敬い、謙虚に修行を怠らず退かず。

無餘修―群衆の中で喜びの縁を結び、見返りを求めず、福徳を以て智慧道の糧を培う。

無間修―勇猛に精進、善を持って悪を断つ、今の一刻を把握して、永久に休まず。

長時修―人生の苦は短く、気にすると煩悩が増す、気にせず時間があったら一心菩薩道を志し、生々世々にわたって前進するよう努める 

法を聴いて心に留め

精進に時を惜しまず

恐れず重責を担う

大愛を世間に注ごう

 

「一日が過ぎると命もそれに従って少なくなります」とおっしゃいました。時を把握して、聴いた法を心に留め、人々のためによいことをしてよい縁を結んでこそ、この一生を無駄に過ごすことになりません。

中国の雲南省昆明市のボランティアは、長年山へ登ったり村へ下りたりして、遠く険しい道も厭わずに、病の人や寄る辺のないお年寄りの世話をしています。今年の三月、彼らは善法を学ぶために台湾を訪れ、何カ所もの慈済の道場を回りました。帰ったらさらに故郷の人たちを集めて、貧しい人や病の人たちの世話をすると言っています。

慈済ボランティアは険しい道と知りながらも、さまざまな国で支援をしています。一九九四年にはカンボジアの支援に行きました。現地の人は戦乱に痛めつけられた上に、洪水や旱魃などの災害にも遭っていました。

慈済は一九九四年から一九九七年の間、八回もカンボジアの支援に行きました。十以上の省で慈善活動の足跡を残しています。そして今年の三月半ばに台湾、マレーシア、ベトナム、シンガポールの人医会メンバーは現地のボランティアや各組織の人たちと合同で施療を行いました。

コンポンチャム省で三日間行った施療では、延べ三千人以上の貧苦の人たちが施療にきていました。現地の若いボランティアたちは、医師が診察をしている時の通訳や、診察を待つ患者を呼び入れていました。

同じ頃、南米のエクアドルで、米国慈済ボランティアがカノア教会地区の建設支援の起工式に参加しました。昨年四月に大地震が起きた際、米国慈済ボランティアが、被災者雇用制度で被災住民たちを清掃員として雇い、自分の手で自分の町を整理しました。この地震で倒壊したカノア教会の再建はずっと目途が立っていませんでしたが、住民の心の寄り所であることを重視して、慈済は建設支援を決定しました。

お互いに言葉は通じず、信仰が違っても、慈済は被災者の身も心も安らかになることを願っていました。三月十日、マンナピ省総主教ロレンソ主事が主宰して教会起工式が行われました。六百人以上の住民が参加して和やかな雰囲気でした。

皆さんが、この世に温かくて明るい希望の光を灯してくれますよう願っています。

NO.244