十年、二十年という刑期、どのようにして気の遠くなるような日々をやり過ごしているのだろうか。
例え出所しても改悛者として人生をやり直すプレッシャーは並大抵のものではない。
傷だらけの心を持ったこの生徒たちに、寒空の先には春が待っていることをどうやって分からせたらいいのか?
そこでは彼らは名前で呼ばれることはなく、四桁の数字が名前の代りである。彼らのことを普通、「同級生」と呼ぶ。
高い塀の中で同級生たちに講義するのはもう慣れている。この数年間、異なった刑務所で講義するのはいつも一番面白いストーリーで、精一杯話した後、拍手の中で終了する。鉄の扉が背後で閉まるその瞬間、この人生で彼らと縁を結ぶのは今回一回限りであることを思い知らされ、心の中で獄中の彼らを祝福するしかない。
今回の任務は少し違った。数回にわたって同じ人たちを対象に三十五分間の講義を行うのだ。講義の準備は簡単だが、毎月講義するので、聞く方が飽きないようにしなければならない。その上彼らが何か収穫を得るよう期待するので、少し難しいところがある。これら刑期がとても長い同級生たちに何を話したらいいのか? 十年、二十年と服役している様子を思い浮かべてみる。彼らはどうやってその何千日もの日々をやり過ごしているのだろう? ある日出所できたとしても、「改悛者」であることのプレッシャーは並大抵のものではないはずだ。険しい道を歩んで来たこれらの衆生に対して、私は何をしてあげられるのだろう?
行いを改めるにはまず考え方を変えなければならない。考え方を変えるには心のあり方を調整するしかない。考えていくうちに、少しずつ方向が見えてきた。仏陀が説いた「心と仏と衆生に違いはない」ことを彼らに知ってもらい、本来持っていた清らかな心を取り戻してもらいたい。
第一回目の講義:悟り
君は誰だ? 君は自分のことが好きか? かつてどんなことがあったのか? どんな未来を願っているか? 今の日々をどう過ごしている? 自分以外の人をじっくり観察したことがあるか?
もし、これらの問題をよく考えてみたことがないのなら、確実に「悟り」は大事な一回目の講義になるだろう。
大愛テレビ番組「地球の子供」の第一話《僕と僕の欠点》の動画を見せた。主役の林彦良は脳性麻痺を患い、幼い頃から真っすぐに歩くことができない。勇敢な父親は毎日彼の足をマッサージする。映像の中の彦良は強くて楽観的で、足が痛くて大声を上げても、面白おかしく自分を笑ってみせる。他人が走ったり跳んだりするのを見てとてもうらやましく思う。一度恨み言を同じ境遇にある子に言ったことがある。「どうして僕らはこんなに運が悪いのだろう? 皆ちゃんと歩けるのに、どうして僕らにはできないのだ?」
もう一人の子は、「仕方ないさ。僕らはこういう星のもとに生まれたんだから。だけど、神様は片方の扉を閉めても、もう一方の扉は開けてくれている。だから人に負けてはいけないんだ。そうだろ?」と応えた。
「苦」はこの世の真実である。「理解できましたか?」と同級生たちに言った。「あなたたちの人生では、自由という扉は閉ざされていても、悟りという窓があなたに開けられるのを待っているはずです。準備はできましたか?」
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長年教育ボランティアをしてきた林敏悧は、「変わり始めれば、きっと家族はあなたを受け入れてくれるでしょう」と同級生たちを励ました。(攝影・林淑懷) |
第二回目の講義:空
二回目の講義は「空」について話した。仏陀は衆生に宇宙、人生の真理である「苦、空、無常、無我」を教えた。「空」は一番分りづらいが、最大の慰めでもある。
この世界で起こるあらゆる物事は一時的に存在するだけで、全ては絶えず変化している。全ての生命は「生老病死」から逃れることはできず、あらゆる思いには「生住異滅」がある。全ての物体も「成住壊空」から離れることはできず、苦労して蓄えた財は一夜にして烏有(=無)と化してしまうかもしれない。私たちの心の境地は、朝には自慢げに喜んでいても、心の持ちよう一つで一瞬にして谷底に落ちてしまうほど苦しいものである。空の性質が分かれば、私たちに無限のパワーを与えてくれる。
ネットにこんな文章が載っていた。
ある人が過ちを犯し、刑務所に入れられた。セルの扉が閉まったその時、鋼鉄のぶつかり合う耳障りな音で彼の心は谷底に沈み、自分の人生は絶望の境地に陥ったと感じた。
運動する時間に彼は石垣の前に来て、まだら色の壁に字が彫ってあるのを見つけた。「これも過去のことになるだろう」。彼はそれをしばらく凝視してから悟った。その時から失望や苦痛を感じた時、彼は自分に「これも過去のことになるだろう」と言い聞かせた。そういう心境で彼は人生の暗闇を乗り越えることができた。
彼は遂に出所した。困難や逆境に出くわした時、自分に「これも過去のことになるだろう」と言い聞かせてきた。その考え方は人生の中で挑戦を受けた時、彼に勇気をもたせてくれた。徐々に彼の人生にも転機が訪れ、思うに任せた順調な生活を送ることができるようになったが、順風の境地でも彼は自分に「これも過去のことになるだろう」と言い聞かせた。このような悟りは彼に人生の美しさを大切にすることを学ばせた。
歳を取るにつれて病気するようになったが、そういう時も「これも過去のことになるだろう」と言って聞かせ、病気の間も比較的愉快に過ごすことができた。臨終の直前も、彼は忘れずに「これも過去のことになるだろう」と自分に言い聞かせ、安らかにこの世を去った。その言葉は残された家族にとって最も美しい贈り物となり、彼らが悲しむ時、それも過去のものとなることを彼は知っていた。「親愛なる同級生たち、あらゆることは変化し、過去の迷いも変わり、目の前の苦しみも永遠には続きません。こういう智慧が分かりますか?」と問いかけた後、口と足で絵を書く画家の謝坤山の話をした。彼は誰にも負けない忍耐と意志の力で障害者として成功し、模範的な存在となった。
ある日、彼が上人に会った時、「あなたは本当に素晴らしい。他の人には手足があっても、あなたは良い手足があります」と上人が言った。彼はどういうことだろうと心の中で思った。「僕は明らかに手足に障害があるのに、どうして良い手足だと言うのだろう?」。上人は続けて、「正しい行いをするのが良い手であり、正しい道を歩むのが良い足なのです」と付け加えた。
いつか自由な所で会おう、と私は同級生たちと約束した。「その時には、どうぞ手を上げて『自分には良い手と良い足がある』と口に出して言ってください。そうすれば、あなたがすでに善行の仲間になっていることが分かるからです。」
第三回目の講義:縁
都会のコンクリートジャングルで生活していると、植物を育てる環境はバルコニーの植木鉢しかない。ある日、一つの鉢から何か瓜類の蔓が長く伸びていた。ヘチマのように見えるが違うようだ。はたして何の瓜だろう? しばらくすると丸いメロンがなった。熟すのを待ってから家族で分けて食べたが、その小さなメロンはみずみずしくとても甘かった。そのころちょうど「法は水の如し」という経典劇の練習をしていたので、一瞬警戒心が起きた。
誰が植えた「因」なのか? 私だ。剥いた皮と種を土に埋めたのだった。育てる「縁」は誰がしたのか? それも私だ。毎日水やりをした。誰がその「果」を受け取ったのか? もちろん私だ。美味しく食べた。
因果を心から信じるのが修行の基本である。《大仏頂首楞厳経》で言っているように、因縁の所在を理解しなければ、どうやって煩悩を起こす「因」を断ち、既に存在している苦の「果」を受け入れることができるだろう?
第三回目の講義では「因縁」についての話をした。人生ではよく異なった形で悟りに導いてくれることがある。目の前の苦に対して、その中に潜んでいる因を理解し、勇気で以て人生を転換させる力を持ち合わせているのだろうか?
第四回目の講義:生まれ変わる
芝居は面白くなければ作り直すことができる。人生が思うように行かない時、やり直すことはできるだろうか? 汚点のついた人生は失敗した脚本のように見える。改悛者は一生幸せな人生を送れないのだろうか? 実は、考え方一つで人生はそこから変わることができる。
寒い冬の先には春が待っていることを、私はどうやったら心が傷ついたこの同級生たちに理解させることができるか? 彼らの眼差しが初めの頃の空虚なものから今では真剣に変わっていた。今がチャンスだ。自分の過去を話すことにした。
「私の記憶に最も遠いものとして残っているのが六歳の時の「扉」です。あの日、母は私たち兄弟姉妹を連れて出かけました。あちこち歩いた後、大きな扉の前に来て静かに待ちました。どれだけ時間が経ったのか分かりませんが、扉がゆっくりと開き、中からあまり見覚えのない父が出て来ました。それから、皆で石門水庫に行ってピクニックをしました。母はバッグから新しい服を取り出し、父はそれに着替えました。長い年月が過ぎてから、記憶の中の扉は桃園亀山刑務所の門だと気づきました。父は改悛者だったのです。
私は、父が改悛者であることで大変な苦労が付きまとい、大きなプレッシャーを感じていたのを知っていました。父はどんなに苦労しても絶対にあきらめませんでした。この道が駄目なら別の道を選びました。いつも引っ越ししていた関係で、小学校時代は毎年学校が変わりました。私たち兄弟姉妹はそれによって素早く物を整理する術を身につけ、一日であらゆる物をあるべき所に戻すことができました。
父は大したもので、経済的に困窮していたにもかかわらず、私たちに貧しいと感じさせませんでした。一家で夕食をとる時、大きなテーブルの上におかずが一皿しかなくても、笑い声が絶えませんでした。どんな苦しい生活でも、私たちは幸せでした。また、父はよく童話や世界の名作を取り出してきたので、幼少の頃から読書する習慣が身についたのは父のおかげだと思っています。
「楽観」は父がくれたもう一つの贈り物です。父の人生は浮き沈みがありました。父は機械の設計が好きで熱中していましたが、成功するよりも失敗する方が多く、毎回失敗した時は失敗を認めていました。しかし、その翌日にはまた食卓で製図していて、耳に鉛筆を挟んで頑張っていました。ある日、父はオートバイで機械のパーツを運ぼうとしましたが、重過ぎてオートバイが倒れ、起こすこともできませんでした。父はそれを笑い話にして聞かしてくれ、皆で大笑いしました。
父の人生は五十歳を過ぎてから少しずつ良くなりました。初めて家を買った時、還暦を迎えていましたが、何もない新しい家に座って満足そうでした。皆、父の苦労を見ていたので、誰もが心配をかけまいと頑張りました。私が台湾大学に合格した年、妹は一番良い女子中学校に合格しました。父は多く言いませんでしたが、目に涙を浮かべていました。今でもその光景が忘れられません。
親愛なる同級生諸君、私が言いたいのは私の父は改悛者でしたが、私の心の中では英雄であったということです。
あなたも父親ですか? 頑張って子供の心の中の英雄になってください。」
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林敏悧(写真左)と林玲悧(写真右)は昔のことを回想した。以前手形法があった時代、父が法律に抵触して刑務所に入ったことがある。しかし、父は失意することなく、それまで以上に努力した。その精神は娘たちを善に向かわせ、今では台中慈済教育チームの構成員になっている。(攝影・賴明坤) |
最後の二回:
現実のストーリーで相手を変えた
改悛者も幸福な人生を送ることができるのをどうやって証明すればいいか? 刑務所を出て総統府にまで足を踏み入れた高肇良師兄が第五回目の講義に最高にふさわしい講師となった。
最良の自分を望むなら、いつから変わるべきか? 慈済教師懇親会の李文義先生がこんな話をしたことがある。ある学生はいつも李先生に嘘をついていたが、李先生はいつも彼の言葉を信じ、不良グループから脱けるよう説得し続けた。
ある日、彼は李先生に電話をしてきて、「先生、ちょっと来てくれませんか?」と言った。「先生の言う通りに不良グループから抜けることにしました。抜けたいというと、兄貴は二つの選択肢から選ぶよう言いました。二十万元払うか、指を一本つめるかだと」と続けて言った。この子はお金がなかったので、指をつめるしかなかった。この子のことを思うと胸が痛んだ。その子はどんなに大きな決心をしたことか? そのような勇気は私たちにあるだろうか? いつになったら自分を変えるつもりだ?
禅問答にこういう話がある。ある日一人の将軍が地獄と天国が本当にあるか知りたいと思い、白隠禅師を訪ねた。禅師は「あなたは誰ですか?」と聞いた。「私は大将軍です」
「誰が盲目にあなたを大将軍にしたのですか? 私には乞食のように見えます」と禅師が続けた。将軍はそれを聞いて腹が立ち、刀を抜いて禅師を切ろうとした。禅師は落ち着き払って、「地獄の扉が正に開こうとしています」と言った。将軍はすぐに自分の失態に気づいて詫びると、「天国の扉が開かれました」と禅師は言った。
天国と地獄は考え方一つで、それを変えるのも一瞬の念である。最後の講義は「変わる」ことについて話した。変わるのなら今すぐに始め、自分の心を戒めれば、例え劣悪な環境にあっても、善に向かった美しい人生を送ることができるのだ。
(慈済月刊六〇三期より)
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