寒風が吹きすさぶ夜、ボランティアは一斉に合掌して念仏を唱えています。目の前に遺体が一体一体と増えてきて、見るも無残な光景に涙がとまりません。
大空に念仏の声が広く行きわたる中、その念仏の一句一句が祝福に変わって、死者と一体になったのでしょうか。
■悲惨な夜
二月十三日の夜九時ごろ、一台の観光バスが桜の名所の武陵農場を見学した後、台北に戻る途中で交通事故に遭いました。バスは国道五号線から国道三号線に接続する大きなカーブで土手に転落し、死者三十三名、負傷者十一名を出す大惨事となりました。
その時、南港区のボランティアの陳美盈が勉強会を終えて帰宅するや否や、ある男性の新聞記者からの電話を受けました。記者は、緊迫した口調で陳美盈の名前を確認した後、国道で大きなバス事故が起こったことを告げ、事故現場から近い南港区の慈済ボランティアに救援に協力してほしいと要請しました。
ボランティアはまだ事故の報道もされていない時、慌てて名乗るのも忘れたあの記者の言葉を信じて、夜更けに教えられた辺鄙な事故現場へと向かいました。
夜十時を回ったところに、ボランティアの許睦燦が車を運転し、陳美盈、蕭恵玲、陳秋蓮そして宗教処職員の許美雀を乗せ、現場に向かいました。南港の横科インターチェンジから高速道路に入って現場に向かう途中、救急車のサイレンがひっきりなしに鳴り響いていました。道路封鎖の標示がずっと前方から表示されていたのを見て、この事故の深刻さを感じとりました。
立入禁止の横に車を停めて歩いてゆくと、慈済のユニホームを見た国道警察がすぐに手を差し伸べ、平均年齢六十を越えた私たちの手を引いて、段差の大きな土手をはい上がらせてくれました。
現場に入ると救助隊員から「すでに死者がでているので助念(死者の霊を慰める念仏)が必要です」と指示されました。そこで目に飛び込んできたのは想像もつかない悲惨な光景でした。
山沿いに転落したバスの傍らに大型クレーン車や救急車が待ち受けているのを見ました。救助隊は二人一組でサーチライトを照らし、死者を続々と担いで出てきました。すぐ目の前には、薄い青色のシートで被われて冷たい地面に安置された遺体もありました。
災難が発生した時、地域ボランティアによる救援チームを立ち上げ、精進組のボランティア陳美利と葉美雲に、死者への助念を行うため、大勢のボランティアに呼びかけるよう依頼しました。瞬時の出来事で命を落とした方々の霊が少しでも安らかになるよう、祈りを捧げたいからです。また、陳秋蓉は、生姜湯やミネラルウォーターやパンなどを調達し、バス事故の救助に当たっていた救助隊員に体力を補給すると共に労を労いたいと考えました。
二〇一五年、復興航空が南港区に墜落した事故がありました。当時、救助隊の大がかりな捜査が九日間に亘って続き、慈済ボランティアもその間ずっと救助隊員に炊き出しを行うなどの支援を行いました。それら積み重ねた経験が今回実を結んで、深夜にもかかわらず物資や人手をすばやくかき集めることができたのです。真心で奉仕できることが一番大切だと思います。
三十人の慈済ボランティアは次々と姿を現して助念を行いました。クレーンの騒音が響く中で、すすり泣く声が聞こえてきました。死者の遺族はまだ現場に到着していませんが、ボランティアは寒さや恐しさに耐えて、一心に念仏を唱えました。
事故現場での消防隊救助対策拠点では、救出された十一人の負傷者の搬送先の七つの病院、仁愛病院、慈済病院、三軍総合病院、台北医学大学付属病院、汐止國泰病院、台北國泰病院、萬芳病院が標記されていました。
午前二時、すべての死者の遺体がバスの中から黒色の霊柩車に移されて、台北第二葬儀場へ移動することになりました。ボランティアは敬虔に頭を深く下げて見送りました。そして、台北第二葬儀場でも死者への助念をするよう新たに手配しました。
このような大きな交通事故を見ると、「人生は無常である」と思わざるを得ません。誰しも災難が起きることを望んではいませんが、いざという時ボランティアは勇気を奮い立たせて力を尽くします。それが慈済ボランティアの本分なのです。今回のように無残な姿となった遺体を目の前にしても、誰一人怖いとは思っていません。『父母恩重難報経』の中の、仏陀と阿難の対話が思い起されます。仏陀と阿難は、路上で遺骨を見かけました。仏陀は「この骨の主は過去世で私たちの親だったかもしれませんよ」と阿難にお諭しになりました。
衆生を自分の家族のように見なして親身になって世話することは、すなわち證厳法師の教えに報いて、皆様の恩を返すことです。
■死者の家族をケアしよう
◎文・江孟倩/訳・心嫈
無尽の悲しみ、無尽の付き添い
二月十三日の夜に事故が発生した後、死者の遺体は台北第二葬儀場に安置されました。ボランティアは葬儀場へ出かけ、徹夜で死者の家族に付き添い、助念を行いました。遺体を確認するのに時間がかかるので、ある男の人が堪えきれず家族の控室で倒れました。慈済人医会のボランティアは、応急手当をしてから救急車を呼んで病院へ運びました。
翌日の早朝、葬儀場に来た古株のボランティア、呉静姝は、「肉親の死がまだ確認されないうちは、家族は一縷の望みを抱いているのですが、一旦冷たい遺体に対面すると泣き崩れてしまいます。ボランティアは、家族の救いようのない気持を少しでも慰めてあげたいと願っています」と語りました。
霊安室で助念を行っている最中、悲しみに耐えられず控室に戻る遺族もいました。ボランティアは遺族に付き添うと共に、家族が応急の品を買うための見舞金を贈呈しました。夫妻の一人が死亡し、助かったもう一人が病院で救助されていました。家族だけでは手が回らないのを見て、病院と葬儀場が手を貸しました。
ボランティアの宋秀端は朝から葬儀場に来て、午後一時過ぎ、家族に付き添って事故現場に戻り、招魂(台湾の習俗で事故で亡くなった人の魂を呼び戻すこと)を行いました。その夜、悲しみに沈んでいた家族のことが心から離れず、再び葬儀場に戻って来ました。この心温まる気配りが家族に届き、今回の花見ツアーを引率したツアーコンダクターの妻の黄さんは、「家族の代表として、ずっと付き添ってくれた慈済ボランティアに感謝の意を伝えたい。あなたに託してもよいですか」と宋秀端に言いました。
寒波で気温が急激に下がった夜でしたが、大勢のボランティアが続々と集まってきました。仕事で昼間来られなかった人も来ました。皆は、静かに手を合わせて霊安室に入り、死者への助念を行います。
法鼓山と慈済のボランティアが合同で助念を行い、それから二月十四日の夜八時半には回向(仏事を営んで死者の成仏を祈ること)も一緒に行いました。真心で死者の霊を慰め、そして家族の心が安らかになる心を込めて祈りました。
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慈済ボランティアは第2葬儀場の霊安室と家族の控室で飲食物を提供したり、家族の悲しみに寄り添い慰めたり、遺体を確認したり遺品を受け取るのを手伝ったりして付き添いました。(撮影/陳清漢) |
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法鼓山と慈済のボランティアは霊堂の両脇に座って敬虔に仏号を唱えました。(撮影/呉万智)
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