慈濟傳播人文志業基金會
小善でも行うべし

一念の善を行動に移すと大きな功徳が生じる。

フランスのアルプス山脈付近のスキー場で一月十三日になだれ事故が発生し、九人が埋もれ、そのうちの四人が命を落としました。朝会の時、證厳法師は「人生は無常です」と嘆息されました。楽しみに出かけていった人々が災難に遭い、無事に帰ることができなくなりました。犠牲者の遺族は、悲痛な別離に直面することとなり、また負傷者は心身とも苦痛に耐えなければならなくなりました。「人間は大自然の力に及ばないのは当然のことですが、もし、人々が自分のなすべきことをしっかり守って、身、口、意(仏教で、動作を行う身と言語を発する口と精神作用を行う心、人間の行為のすべてをいう語)を自粛すれば、災いを招かず、平穏無事に暮らすことができるでしょう」

この冬、台湾はやや暖冬で雨も少ないため、水不足を懸念する政府は節水を呼びかけています。嘉義のボランティア許瓊英は常日頃の心がけで、「自分で作れるものは買わない」「水を大切に使う」「使わない電気はすぐに消す」など、簡素な暮らしを長年実行してきました。彼女は、洗面所の下で排水管の流れをせき止め、回収した水をふろ場やトイレの掃除に再利用しました。また、玄関口の横においてある水槽の排水管を延長して、野菜を洗った水を庭先の菜園に流して灌漑用水としました。

「自分で水をリサイクルするだけでなく、近隣の人々にも熱心に勧めています」と、法師は許瓊英を褒められました。「生きとし生けるものすべてに水は必要です。人々が節水の心構えを常に持っていれば、水不足の心配はなく、安心して平穏に暮らせるでしょう。もしやたらに無駄に使うと、いつしか地球上の資源は枯渇してしまうかもしれません」

高雄のボランティア鄭楊慶は、以前はおいしいものに目がなく、暴飲暴食の結果ついに身体が悲鳴をあげてしまいました。ボランティアの潘機利は彼を励まして、まともな生活に引き戻しました。鄭楊慶は煙草やアルコールや檳榔を止める決意を固めて、さらに素食を貫いてようやく健康を取り戻しました。「牧場で家畜を飼うと大量の水を使います。もし肉の需要が少なくなれば、飼育の需要も減少することでしょう。そこで、節水だけではなく、生態が自然に戻り、気候の調和がとれるようになると衆生も穏やかに生活できるようになります」と法師はおっしゃいます。

フィリピン‧マニラ市パラオ区の貧民窟で火災が発生し、三千世帯以上が全焼しました。慈済ボランティアは、炊き出しと共に物資を配付しました。また、セブ市で発生した火災で三百世帯以上が全焼したので、ボランティアは慈済の移動調理車で被災者に食事を供給しました。

「源から清浄になること」と法師は常に呼びかけておられます。小乾坤(人々の生活に対する心構え)の働きは、大乾坤(天地)にも影響力があるのです。「災難をなくしましょう。災いを未然に防ぐには日々の生活から始めるべきです。環境保護に力を尽くせば、生態の循環が順調になり、生物が自在に生きると人類も安心して暮らせるのです」

 

菩提の林を保護しよう

 

昨年、ベトナムの中部は深刻な旱魃に見舞われ、土壌が塩化してしまい、農作物も減収したため、住民の生活は苦しい境地に立たされました。慈済ボランティアは困難を克服して水を運んで配付しました。飲用水だけは間に合いましたが、貯水用のバケツを農民たちに提供したものの、雨が降らなくては耕すこともできません。「気候の調和がとれないと、災難も多発しがちになり、日々の暮らしの中で不安が生じてくるのです。水が十分に使える時でも水不足の苦しみを忘れてはなりません。限りある資源を大切にして、日ごろ心して災いを未然に防ぐだけでなく、さらに心ある人々に愛と善の本能を啓発すべきです」と法師は話されました。

フィリピンに住む七歳の男の子サンニちゃんは、脊椎を患い、長期治療が必要でした。家計が苦しい一家にとって、サンニちゃんの医療費は重荷でした。慈済ボランティアは手術の費用を援助し、また、リハビリ用の歩行器を提供しました。手術後の回復が良好なので、サンニちゃんのお祖父さんは歩行器をよその人に譲りたいと、ボランティアに返しました。それを知った隣人は心を打たれ、自分ももう使わなくなった松葉杖を寄付したのです。

善の行いはたとえ些細なことであっても、一念の善意が生じると必ず一粒善の種が芽生えてくるのです。「小さな草も大きな樹木も一粒の種から成長するものです。微小な善行を軽視してはなりません。人を助ける気持があれば、すでに一念の仏心が生じたことになるのです。そして、行動に移していけば無量の功徳があるのです」と法師はおっしゃいました。

「草木は雨や露で潤うことにより芽生えて成長するのですが、心の乾きには仏法の水を心の栄養として摂るべきです」「みなが菩提の種を一粒一粒と大事に見守り、仏法の水を吸収して心の畑をバランスよく耕すのです。慧命の養分となるものを心に蓄え、菩提の林を保護することを期待しています」と法師はおっしゃいました。

(慈済月刊六〇四期より)

NO.246