慈濟傳播人文志業基金會
雨のち晴れ
昨年一年を通して旱魃に見舞われたモザンビーク。
今年二月、今度は熱帯台風の被害に襲われました。貧しい住民は日照りと大雨が交互に訪れる極端な天候に翻弄されています。現地の慈済ボランティアもまた被災しましたが、自分よりも困っている人を助けるために奔走しています。

南半球を襲う夏の嵐

 
 アフリカ南東部に位置するモザンビーク共和国を二月十五日、サイクロン「ディネロ」が襲いました。イニャンバネ州に上陸した後、遅い速度で全土を縦断し、多くの州が甚大な被害を蒙りました。
 上陸地点から六百キロ離れた首都マプトに居住する三千人の慈済現地ボランティアは、三日間降り続いた大雨が止むのを待って、それぞれケア対象家庭の被災状況を確かめに向かいました。
マプトのマトラ区では七十六歳のセレステおばあさんが茫然自失となって立ちすくんでいました。アルミサッシの屋根が吹き飛ばされてしまったので、布団とビニール袋で覆っていました。
 サイクロンが過ぎ去った後、一人暮らしのセレステおばあさんは拾ってきたビニール袋で家の隙間を塞ぎ、何とか雨風を凌げるようにしてはいましたが、食糧は何も蓄えてありませんでした。ボランティアはセレステおばあさんを慰め元気づけようと、手話を交えて慈済の歌、「みんな同じ家族」を歌いました。「すぐまた訪ねてきますからね」と言って、歌で悲しみを慰めました。
  

水がもたらした苦しみ

 
 泥の中をボランティアは手を携えて進み、サントス区へ入りました。
 低い窪地に住むアレクサンダーおじいさんは、慈済ボランティアがやって来たのを見て喜んで言いました。「酋長がサイクロンに備えるよう注意を呼びかけたので、前もって屋根を補強しておきました」。この事前の応急処置のおかげでアレクサンダーおじいさんの家は無事でした。
 街外れに建つ貧しい家の多くは茅葺きやアルミサッシでできた粗末なもので、雨や風を防ぎきることはできず、浸水し泥だらけになってしまいます。雨が降ると家中の入れ物を持ち出して雨水を溜め、体や食器を洗うのに使います。
 近年の気候の変動はこれまでになく大きなものです。昨年は一年を通して日照りが続き、国の財政も逼迫して、物価が高騰しました。政府が一月に一年間の節水を発表した直後の二月、今度はサイクロンが来襲しました。連日の大雨と暴風は六十五万人に影響を与え、公共建築物百六棟、病院七十棟、教室九百九十八個、そして通信設備も被災し、二万棟以上の家屋が倒壊しました。
 

長い道の先に待つ笑顔

 
インフラ設備が不足する現地では汚水を処理しきれず、炎天下で疫病発生のリスクが高まっています。食糧の価格も二倍以上に高騰し、貧しい人々は塗炭の苦しみを味わっています。
 二月二十日、慈済ボランティアはマホタス、ローランニ、フレネに居住する貧しい五百五十世帯の被災家庭に米などの物資を配付しました。体が不自由で配付会場まで来られない場合には、ボランティアが物資を届けました。サイクロン被害によって多くの道がふさがれているので回り道するしかなく、食事をとる暇もないボランティアですが、人助けをするという志があれば疲れも吹き飛びます。
 セレステおばあさんは遠くからボランティアの歌声がしてくるのを聞きつけて、家の前まで出てきて待っていました。到着したボランティアはおばさんの子どものように回りを取り囲んで、災害の間どうしていたかなどを聞きました。ボランティアが「『みんな同じ家族』の歌を覚えていますか」と言って、「私たちは同じ家族……」と歌い出すと、おばあさんは嬉しそうに目を細めて聞いていました。
 

私は同じ家族

 被災直後に訪問した慈済ボランティアが、二日後には米と蚊帳を携えてまた来訪したことに、イザベルおばあさんは驚きました。
 マドラに住む慈済ボランティアのジョアンナ・マクアクアは自分自身も被災しました。慈済ボランティアの愛に感動したジョアンナは隣人のマシアを慈済のボランティア活動に誘い、今回イザベルおばあさんに米と蚊帳を持ってきたのがこのマシアです。こうして愛が循環していることに、ジョアンナは感動しています。
 マプトにある慈済の会所には毎日多くの慈済ボランティアが出入りしています。昨年は会所の前にバス停が設置されました。こうしてボランティアやケア家庭の人々がバスに乗るのに二十分も歩かずともよくなりました。マンゴーの木の下の慈済の家はみなに大切にされながら愛の集う場所となっています。
 慈済ボランティアが二月に二度行った物資配付により、八百九十六世帯の四千人を超す人々に米と蚊帳が届けられました。

 

NO.246