慈濟傳播人文志業基金會
台風一過の地に タカサゴムラサキアカザが実る
二〇一六年、台風一号が台東地方を襲い、太麻里郷の田畑と果樹園に深刻な被害をもたらした。       
家業を継いで故郷を復興させようと、「穀物のルビー」を携えて自然農法にこだわる若者たちがいる。
 
初春の温かい陽射しの下、花蓮の慈済科技大学内にある教育農場では六千株のタカサゴムラサキアカザが実りの時を迎え、赤い穂を風になびかせていた。育てたのは、台風一号で被災した農家の若い世代、四カ月の努力の末やっと収穫にこぎつけた。
彼らは慈済科技大学でタカサゴムラサキアカザの栽培法を学び、収穫したタカサゴムラサキアカザを商品化して、ネット販売など新しい販路をも取り入れながら、故郷で再出発する道を選んだのだった。
 

農家の跡継ぎという重圧

 
「タカサゴムラサキアカザの栽培は難しくありません。ただ梅雨と台風には弱いのです」。広々とした農場の中で穂を摘みながら、江志鵬はタカサゴムラサキアカザにたどり着いた経緯を語ってくれた。
江志鵬は台東県太麻里郷で生まれた。両親は米と蘭を作って彼と妹の雨蒨を育ててくれた。後にもっと商品価値の高いジャックフルーツの栽培に転じたのが成功し、太麻里でも有数の農家になっていった。
果物屋や観光客が次々と箱買いをしてくれるおかげで、江家の暮らしはより豊かに安定していった。しかし台東地方は農業以外の産業が少なく就職の機会も限られている。兄妹は職を求めて故郷を離れた。江志鵬は車に衣料品を積んで販売し、ジャックフルーツの収穫時期だけは帰省して手伝いをしていた。妹は結婚して高雄で暮らしていた。
江家の農地は、二〇〇九年は台風八号に、二〇一六年には台風一号という非常に大きな台風に見舞われ、深刻な被害を受けた。その時兄妹が故郷に戻って見た光景は、ジャックフルーツの木がなぎ倒されて葉は枯れてしおれ、強風にあおられた果実が地面に落ちて黒く腐敗している様だった。両親のそれまでの苦労は水の泡となり、再建を余儀なくされた。しかも、枯れた木を伐採して新しい苗を植えても、収穫できのは四年後になると聞いた。

「穀物のルビー」と呼ばれるタカサゴムラサキアカザ 

行政院農業委員会によると、台湾原産のタカサゴムラサキアカザはタンパク質が稲の2倍、カルシウム含有量は2523PPMと稲の50倍もある。鉄分含有量は55.6PPMと牛肉より30PPM高い。カリウムは含有量が35280PPMに達し、大豆の2倍、牛肉の10倍以上にもなる。
以前は原住民族が集落で栽培し糧としていた。干ばつに強く、栄養価に優れているので、1918年に深刻な冷害に見舞われた時には、原住民族の多くがこの穀物で命を繋いだ。21世紀になり、国連やアメリカ、カナダ、日本などでキヌアの価値が高まっているのを見て、台湾でも自国に原生するこの穀物がまるで「宝石」のように得難く貴重なものであることに気がついたのだった。
(郭耀綸、楊遠波、蔡碧仁、葛孟杰共著『紅蔾推廣手冊』より)

 

台風八号の被害にあった時、両親には再度ジャックフルーツを植えて再建を図ったのだが、今回もそれでうまくいくだろうか。ある時、證厳上人が台東の被災地を訪れ、被災した農家に呼びかけるのを聞いた。「慈済科技大学でタカサゴムラサキアカザについて学んではいかがですか」
江志鵬の母親は張蘭凰といい、慈済の訪問ケアのボランティアをしている。台風で被災した後、息子に花蓮にある慈済科技大学でタカサゴムラサキアカザについて学ぶよう息子を励まし、志鵬も故郷に戻って家業を継ぐことを考えていた。そんなころ、妹と、退役したばかりの幼馴染の劉清鴻が一足先に慈科大学へ進み、劉威忠、耿念慈、郭又銘、陳皇瞱ら指導教師のの門下生となった。「農業バイオテクノロジー研究センター」で研究する販売流通管理学科の生徒と一緒に、タカサゴムラサキアカザの栽培技術と関連商品について学ぶことになった。

自然農法へのチャレンジ

 
「穀物のルビー」と言われるタカサゴムラサキアカザは、栄養価値は非常に高いが収穫量が少ないので、価格は米の数倍もする。
栽培期間は短く四カ月で収穫できる。もし台風の季節を避けることができれば二期作が可能であり、収穫した後もほかの作物を育てることができるという経済性に優れた植物なのだ。
 
恩師の指導を受けながら、農業経験ゼロの若者三人で教育農場の二千坪を受け持ち、タカサゴムラサキアカザを苗から育て、水をやり、草取りをして、一から学んだ。
「苗を育てるだけで一カ月もかかるとは思っていませんでした」。発芽には三日から五日あればよく、水分が十分であれば手間もかからず成長の早い植物だが、これを農薬を使わずに自然農法で育てるとなると容易ではなかった。虫に食われれば手で丁寧に葉を除くしかなく、苦労は多かった。
雨の日も晴れの日も、江志鵬、江雨蒨と劉清鴻は腰を屈め、膝をついて虫取りをしなければならなかった。「専業農家は商売するよりずっと大変です」と江志鵬は言う。
「アブラムシが若葉に群がると葉が丸くなり、光合成ができなくなります。それで、近くにラベンダーやミントなど香りの強い植物を植えて、天敵であるテントウムシを呼び寄せました」。大学では食物連鎖を利用した害虫対策を指導しており、それが農地の生態系を循環させているのだと江雨蒨は言う。自身も子育て中の彼女は、もうこれまでのように農薬散布によって家族の健康に害が及ぶ心配をしなくて済むと安心している。
 
三年間バイオテクノロジーを研究したことにより、タカサゴムラサキアカザがシートマスクや酵素、栄養スープ、栄養補助食品、ティーパックなど食品や美容アイテムにも利用できることが分かった。また、加工に使った後の茎や根は圧縮してバイオ燃料にしたり、菌類栽培の菌床や簡易コンロの燃料としても使えるという。経済的な効率性も十分高いと言える。

●苗から育てる。江志鵬(右)は慈済科技術大学のバイオテクノロジー及び経済管理学科において一から学び、商品化についても構想を練った。
 
パウダーとティーパック(写真下)。(攝影/王上秦
 
 
 
慈済科技術大学の羅文瑞学長は、「證厳法師は私たちに諭されました。私たちがやるべきは『慈善農耕』であり、その土地に根ざして技術を伝承させ、海外の災害援助にも役立ち、そして台湾農業をさらに充実させることに役立つことなのです」。大学は持てる技術をすべて公開し、台東の農民に指導を行っていくそうだ。栽培するだけでなく、ブランド化し、インターネットの販売網を利用してそれに伴う顧客管理のしかたも指導する。農民がそれらを受け入れ、生産の経済性を高めることができるよう協力していく所存だ。
 

大地の恵みを大切に

 
今年一月の下旬、大学の農場でタカサゴムラサキアカザが収穫された。江兄妹は「シンプルで安全に」という販売方針にこだわりながら、パウダーやアカザ玄米茶を商品化し、市場調査を行った。「生産量は少なくても、包装や加工により使いやすくすることで付加価値を付けることができます」
台東の沿岸部は稲が育たない乾燥地だが、タカサゴムラサキアカザの生育には適している。江兄妹はすでに太麻里の実家に戻り、二毛作を進めている。両親の考え方も尊重しながら、耕作方法の改善に努めた結果、両親も農薬と化学肥料を使わない栽培に賛成してくれたそうだ。これからもさらに大地をいたわり、生態系のバランスを崩さないよう、自然農法を取り入れていくつもりである。
流した汗の分だけ赤い穂が色づいて実る。専業農家であってもただ天を仰いでいるだけでなく、安心して故郷へ帰り、未来を切り開いて行くことができることを実感している。
 
 
●江兄妹の努力は両親にも影響を与え、長年の農法を改善することができた。昨年11月に太麻里で植えられたタカサゴムラサキアカザは千株以上にもなり、今年の3月に収穫を迎える。母親の張鳳蘭は掌いっぱいに穂を掬って見せる。
(攝影/江志鵬)
 
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