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蕭耀華のプロフィール:
マカオに生まれ香港で育つ。台湾の大学を卒業し、カメラマンとして立身。仕事で世界各地を訪れ、戦争、災害、貧困、そして、日常の中で遭遇した数々の出来事。
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憂いの味
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セルビア 2016.2.3 |
セルビア北部の国境に近い町シドで偶然、シリアから来た女の子と出会った。彼女の表情はある一文を思い起させた。
「少年は憂いの味を知らなかったが、知っているように見せかけた。知ったふりをすれば、無理してでもそれを強調するしかなかった。憂いを嫌というほど味わった今、何も言えなくなってしまった。何も言うことがないので、秋は涼しくていいと言った。」
それは学生時代に読んだ文章である。成長してから読み返してみると、格別な思いがこみ上げる。これは作者の体験に基づいたもので、人類共通のどこにでもありがちなことだが、子どもが楽しくなく、言いたいことも言えない状況は現実にはないのだ、と私に語りかけているようだった。
子どもが少年期になる前に憂いを存分に体験し、言いたいことも言えないというのは、まるで人生の酸いも甘いも知り尽くしたようである。
そう、まだ幼い彼女は現実を理解しないまま、大人たちについて慌ただしく故郷を離れ、海を越え、山を越えて遠い国に行き着いた。一路困難な日々を過ごしてきても、人生の方向を変えることはできない。一食にありつくために、別の場所に移動して生活するだけである。空腹は満たされず、冷たい体を温めてくれる服もない。ぐっすり眠ることもできず、疲れ切っている。これは彼女だけの境遇ではなく、近年、中東地域全般の状況であり、数百万の老若男女がそうした生活を強いられている。故郷から異郷に追われる悪夢は人類の共業と言える。
いつになったら不安定な生活から脱することができるのか。それは誰にも分からない。
バナナを売る少女
頭の上に載せた丸い鉄の盆には数本のバナナが載っている。バナナは少女と同じように細くて小さく、発育不良気味だった。
数本のバナナは少女の売り物で、頭に載せ、声を上げて街を歩く。これで少女は生計を立てている。何本売れただろう? 利益は? それで生活できることと想像するのは困難だ。
しかし、そのような商売は、経済的に世界でも下位に位置するこの西アフリカのシエラレオーネでは至る所で見かける。数個の果物や数本のサイダー、数個のパン、数個の卵、櫛、ボールペン、草履、歯ブラシなど。頭の上に載せた盆から真実が見えてくる。
アクロバットのように鉄の盆を頭に載せて商売する人たち。彼らは、はるか昔の一九五〇年代に、仕事もなく困窮して苦しい生活を送っていた私の父を思い起こさせた。シエラレオーネで街の至る所で頭に物を載せた人々が行き交う光景は、父や祖父の苦しみを私の目の前で再現していた。
これほどまでにやり場がなく、悲しい生活を写真で表すと、その状況を感じ取ることができず、美しささえ感じてしまうのはどういうことなのだろうと疑問に思う人がいるかもしれない。人生の悲惨さやそれ故の美しさとは、苦しい生活から脱して成功する前に待ち受ける試練なのかもしれない。それらにどういう心境で接し、どういう角度で見るかは人それぞれに委ねられている。
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シエラレオーネ 2016.9.28 |
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