五濁悪世において精進し
見返りを求めない心であれば
安らかになる
毎年五月の第二日曜日は、世界の慈済人にとって灌仏会と母の日と慈済の日の三節句を一度に祝う日です。今年は五月十四日がその日にあたり、その前夜に四十カ国で合計五百三十五回の灌仏会が行われ、約三十万人が参加しました。
この喜びに溢れた日に皆で感謝の心を表そうと励ましているのです。仏陀が智慧と道理、そして正しい方向を教え導いてくださったことに感謝して、心に念ずることです。そしてさらに父母の養育の恩に感謝します。「百善よりも孝が先」というように、孝道とは善行のことで、孝も善もあるとこの世は秩序ある安寧な社会になることができます。天地衆生の恩徳に感謝しましょう。それぞれの職業があってこそ、人々は豊かな生活を享受できるのです。
どの道場も同じ時刻、同じ信念のもとに天候の調和と国の平和を祈願していました。その中で台北の中正紀念堂では三万人以上が参加し盛大に行われました。百二十八人の宗教界の長老が鐘を打ち、六百人の青年が太鼓を叩いて、敬虔な祈りが諸仏菩薩に届きますようにと祈っていました。
宗教界の長老たちが手足の動作を揃えて整然と前へ出ると、人々は感嘆しました。長老たちは自分の地位を気にせず、身をもって人々に和の大切さを教えられ、仏法を高揚しました。
フィリピンのマリキナ市の運動場で行った灌仏会では、九千百人のボランティアが「立体瑠璃同心圓」の人文字を形作りました。どの字もはっきりしていて、躍動感あふれる隊形変化を見せてくれました。整然として厳かで人々は皆の心が固く一つになっているのを強く感じていました。
ハイエン台風の被害を受けたオルモック市とタクロバン市でも灌仏会が挙行されました。慈済ボランティアたちは四年以上の間被災者の生活が安定するまで寄り添ってきました。フィリピン人は大部分がカトリック信者ですが、ボランティアは彼らの信仰を尊重して寄り添い、地域に和やかな空気をもたらしました。この寄り添いは彼らの心に響いて、年に一度の灌仏会に彼らも参加し、仏教への尊重を態度で表していました。
私たちの社会には感謝と尊重、そして愛が必要です。灌仏会で感じた敬虔な心を忘れることなく、この一刻から人と人との間に互いに感謝しあう心、愛の力を結集しなければなりません。人々が睦まじくあってこそ衆生の幸せがあるのです。
心を開け広げると
力量は無限に出る
無私の愛を捧げると
歓喜で心は満たされる
五月三日、南米エクアドルのサンタアナ教会では神父の協力を得て、以前水害に遭った住民や救済に訪れていた各国の慈済ボランティアなど、合わせて千人以上の人が和やかな雰囲気のなか灌仏会を行いました。
信仰する宗教は違えども、互いに尊重し讃え合い、舞台では心を一つにして愛を表現しているその姿は、人心を善良の本性へと導いていました。
エクアドルは今年の四月暴雨に遭って全国七県が緊急事態に陥り、約十二万人が影響を受けました。また昨年四月にもマグニチュード七・八の大きな地震が発生し深刻な被害を受けました。この時、慈済は被災者雇用制度(被災者に賃金を供給して清掃や復興作業を行うもの)を実施して、住民の信仰の中心であるカナアの教会の復興を援助しました。真心からの奉仕は愛の循環の始まりで、ここから善の種が芽生えました。こうして育っていった現地ボランティアは、今年水害が発生した四月十日、被災地の調査を行って被災状況の資料を慈済へ送ってきました。
まさに昨年結ばれた縁によって、今年の菩薩道はアメリカ大陸の七カ国で一歩一歩前進することができました。アルゼンチン、ドミニカ、パラグアイ、ブラジル、グアテマラ、アメリカ、カナダの慈済人は四月二十三日、被災地に到着して救済活動を行いました。
水害の後の復興は緩慢で、二十日が過ぎても街路は依然としてぶ厚い泥に覆われていました。もともと貧しい人たちに天災が重なって、天を仰いでもしかたがありません。ボランティアは災害調査の時、高齢者や子供、障害者を見ると両手で抱擁して慰めていました。
慈済人はマナビ県のポルトビエホ市とサンタアナ県で、被災者雇用制度を用いて被災者を励まし、力を合わせて住居の周りを整理しました。ねばねばしたぶ厚い泥を素手で取り除くのは容易ではありません。慈済人は雇用した被災者と肩を並べて大型機具で整理していました。始めた時は参加者が少なかったのがだんだん多くなって、学校でも先生と生徒が力を合わせて整理し、地域の住民と互いに励まし合っていました。
住民たちは災害に遭っても天を怨まず善念を抱くようになりました。九日間に一万七千人が被災者雇用制度に参加して街路はきれいになり、心も立ち直って、美しい社会が甦りました。学校でも教師と生徒たちは五月の学期開始に間に合うように頑張って清掃し、いくつもの心温まるストーリーが生まれました。
被災者雇用制度で得た現金収入や貧困家庭への見舞金で、地域は甦りました。このお金を元金として小さな商いを始めることができたからでした。また、形ある物を得たことよりも、慈済人によって心を開くことができたことは最も重要なことです。隣人同士の助け合いの精神や家族の情、郷里に対する情が生まれました。
アメリカ大陸の慈済人は無私の愛をもって真心から支援したので、住民はまもなく安らかな生活環境を取り戻すことができました。
十二日間、慈済人は二つの市と県で、苦難の人々を泥沼から助け出していました。ちょうど暑い盛りで、日焼けして真っ黒になりましたが、着実にやるべき事をやり遂げた喜びがありました。
たとえ猛烈な暑さの中でも心は涼しく感じられ、愛に満ちた力で敷いた道に、一粒の善の種を落として大樹に育て上げました。それがいつかこのエクアドルで菩提の林に成長して、その日陰をさらに多くの人に提供し、苦難の人を庇護するよう願っています。
何事も気にせず
心を一つに協力する
捉われなければ
心は軽安自在
菩薩は仏壇に置いて供養するだけのものではありません。「菩薩の縁は衆生との縁」と言いますとおり、身をもって菩薩の教えに努め励み、衆生の苦しみを解いてあげると、どの人もこの世の菩薩になることができます。
愛は人の心を広げ、衆生を自分の身内と見なします。善事を行う時は遠いか近いかを問わず、また自分の力が足りているか足りていないかを気にしてはなりません。一滴の水も海中に入れば慈悲の航路となり、衆生を載せて彼岸に着くことができます。
心の内にある誠の思いを発露することは、苦労を恐れずともに善事に奉仕することです。もしも何かにつけて気にしたり、気持ちが高ぶっていると、煩悩に心が捉われて力を発揮することができません。
この世のすべては夢幻泡影のごとくと言いますが、生命の価値を見極めて短い人生を把握して、「諸悪莫作、衆善奉行(諸悪をせず衆生は善を奉行する)」して精進することです。奉仕に見返りを求めず、貪りも欲も、何の差し障りもあってはなりません。心が安定していれば衆生を済度する力が満ちてきます。
五濁悪世の中では見解が偏ると、是非が混濁してしまいます。そうなると正法を堅持して菩薩道を歩むことが困難となり、苦労となります。無明の泥沼から人を助けようとする時に、自分もその危機に陥らないことです。
厳しい環境下にあって、いかにして道心を守り、退かないでいられるか。それには「身安楽行、口安楽行、意安楽行、誓願安楽行」の四種楽行を奉持して、安らかな心で修行することです。
身安楽行とは、清浄な心を保ち諸悪から離れることです。危険な境地を避けて、誹謗や悪行の影響や障礙を受けてはなりません。警戒心を高め、言行を慎み、精進に勤め励むことです。
口安楽行とは、考えもせずに話をして人を傷つけ自分も傷つくことです。時を無駄に過ごさず、益にならない言語を慎んで、善を勧めることです。
意安楽行とは欺きや虚妄、嫉妬は智慧と慈悲を妨げることをいいます。誠意、正向、実在であってこそ衆生から信頼されます。常に「無常、苦、空」を理解して、奉仕した後もそれに捉われなければ、軽安自在になることができます。
誓願安楽行とは「四弘誓願」を立てることです。一切衆生の済度と無尽の煩悩を断ち、無量の法門を学んで菩薩道を広く平らに敷きます。そしてその道を長く歩いて心でその風景を体得すると、仏の智慧を会得することができます。自分だけが得られるのを望むのではなく、衆生がともに菩薩道を歩くように願うのです。
修行の道を歩く時、心を静かに保ち、喜びの心で何ごとも甘んじて受け入れるなら、人々に法を伝えることができ、自分の心が汚染されることもありません。衆生が安らかになって苦から離れ、楽を得ることができると、心が諸仏菩薩に届きます。
人の苦しみを見て
己の幸せを知る
自分は腹八分で
二分で人を助ける
二○一○年の一月、ハイチでマグニチュード七の大地震が発生しました。慈済人がただちに救済に駆けつけた時は、大地はひび割れ、人の命が犠牲となり、長期の貧困者が陥った苦境は見るに忍びませんでした。その人たちは今でも被災者のそばを離れずに菩提の心で奉仕しています。今年の四月には台湾から米を送りました。
アメリカに住む慈済ボランティアの陳思晟さんは、震災後の七年間に六十五回もハイチとの間を往復して苦難の人々に寄り添ってきました。治安が悪く大型配付活動の時は国連の平和維持部隊の保護が必要でした。毎回の配付は困難であっても、真心の愛と尊重の態度で住民とつき合っているうちに、今ではブルーのシャツに白いズボンの姿の慈済ボランティアを見ると、恩人がきたと言って喜んで歓迎してくれるようになりました。初めのころのような混乱はなくなり、列を作って待つようになりました。陳さんの勇気と優しい態度が彼らの心を解いたのです。
毎回配付物資を受け取る時、住民は片手に引換券、もう片手に靴を持ちます。それは配付の時に押されて靴がなくなるのを恐れているからで、ほとんどの人はスリッパです。物の豊かな生活を送っている私たちには、彼らがどれほど貧しいか想像もつきません。
二年もの間内戦の苦しみを受けているイエメンでは、食糧と飲料水が不足しているため七千人以上が命を落としています。今年はさらにコレラが爆発的に流行し国家は緊急事態に陥っています。統計によると、イエメンでは平均して十分に一人の子供が栄養失調で亡くなっています。屈強であるはずの青年は枯れ木のようにやせ細って、立っているのも困難で地上をはっている様子は、まさにこの世の地獄で、その悲惨な状況は見るに忍びません。
人の苦しみを見て己の幸せを知る。幸せな人生を送っている人は苦しんでいる人に手を差し伸べなくてはなりません。奉仕のできる人は、他人から恵まれる人よりも幸せです。十あるうちの一を人にあげても自分の生活に影響しません。皆が少しづつ節約してそれを足し合わせると、苦難の人を助ける大きな力になります。
苦難と無常のこの世に対し、健康と富を享受している人は、今現在が常であると思っていますが、それは間違いで、常に警戒しなければなりません。生活の安定している台湾ではさらに福を知ってその福を大切にして、食べ残しをなくし、浪費を避けなくてはなりません。腹八分が健康的でちょうどよく、栄養過多は体の中にゴミを蓄積させます。腹八分にして二分を残して人助けに役たちましょう。
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