慈濟傳播人文志業基金會
おじいさんの歌
太魯閣族のおじいさんは妻に「私が先に天国に行って、
家を建ててから迎えに来るよ。あまり長く待たせないから」と言いました。
 
なんと美しい約束なのでしょう。
おじいさんが若い頃から一生懸命働いてきたのは、
妻子に雨露を凌げる家を建てるためでした。
 
 
今年の六月中旬から八月初めにかけて、私は在宅ケア看護師に就いて太魯閣で暮らしているおじいさんを訪ねました。看護師はおじいさんから口頭で今までの人生経歴を記録し、子供たちにおじいさんが経験してきた先住民の文化を残そうとしたのです。
 
八十八歳のおじいさんは軽い認知症を患っており、対談するのは容易なことではありませんでした。看護師は中国語に太魯閣族の言葉を交えて、山の上に住んでいた頃の出来事を聞きました。しかし、おじいさんの受け答えは最も心配していた「お金」の話ばかりで、どうしたらいいか分からず、早めに切り上げるしかありませんでした。
 
私はおじいさんが日本語ができることを察知し、日本語で対談してみました。思いがけず中国語で対話する時よりも話が弾んだため、次の週にまた訪問する約束をしました。
 
次の週、看護師と私はアメリカとシンガポールの医学生三人を連れて行きました。おじいさんが始めから終わりまで日本語で私の質問に答えていたのを見て、今までおじいさんがこんなにはっきり受け答えしていたのを見たことがないと看護師は言いました。おじいさんの語る山の日常生活は彼らの文化そのものであり、それこそまさに私たちが知りたいことだったのです。その話しの中で、私が最も深い印象を受けたのは「絶対に悪い事をしてはならない。なぜならその結果は自分にかえってくるからだ」という彼の言葉でした。この簡単な言葉は子や孫たちに、徳を具えて善行し、自分で運命を切り開くよう教えていたのです。
 
 
おじいさんは歌を唄うのが好きで、訪問が終わりに近づいた頃、日本の演歌を三首続けて唄った後、目に涙を浮かべ無言のまま、テーブルを見つめていました。私は「感動したのですか」と聞くと、長く息を吐いてから目を細めて笑顔で「こんなに感動したことは長い間なかったな」と言いました。その天真爛漫な笑顔を見ると、私の心も温まりました。
 
二週間後、おじいさんの娘が看護師に教えてくれたのですが、おじいさんはいつもおばあさんにこう言うのだそうです。「私が先に天国に行って家を建ててから迎えに来るよ。あまり長く待たせないから」なんと美しい約束でしょう。彼が生涯かけて努力してきたのも妻子を雨風から守る家を建るためでした。
 
次の週、私たちがおじいさんの家へ行った時、おじいさんはベッドから起き上がる元気もなく、お粥を二、三口食べるだけで、山へ帰りたいという意味で山の方を指さしていました。看護師は娘さんに、もう長くないから、早く山への入り口まで連れて行き、おじいさんに感謝と愛の言葉を言うよう勧めました。また、おじいさんは自分の髪と爪を山へ持っていくよう託していたので、翌日、看護師はボランティアと一緒におじいさんの散髪と爪を切りに行き、その翌日、おじいさんは穏やかに人生を終えました。
 
二週間後、私は看護師と共におじいさんの家族を訪れ、作成した記録の録音テープを届けました。娘さんは私たちに「おじいさんの最後は眠っているように安らかでした」と語り、看護師が最後まで付き添ってくれたことに何度も感謝しました。私がおじいさんが唄った歌を口ずさむと、今まで私にもたれていたおばあさんが突然、頭をもたげて「これはおじいさんの歌だ」と言いました。
(慈済月刊六二三期より)
NO.268