茶葉は茶器の中で精いっぱい背伸びし、
緩やかにお茶の香りを漂わせている。
まるで波乱万丈の人生を見ているようだ。
時間を無駄にせず、
限りある生命を発揮すれば、
人生に悔いを残すことはない。
一杯のお茶の光陰に人生が見える。
以前は自分の生活がお茶と関係を持ち、日々お茶と共に過ごすことになるとは思ってもいなかった。
縁があって偶然にお茶と出会い、じわじわと私の生活に溶け込み、「三日間、食べなくてもいいが、一日でもお茶はなくてはならない」と言う古人の言い伝えが分かるようになった。
【茶葉入れ】
二○一五年、友人がすばらしい仕事を紹介してくれた。お茶を愛するある人が茶室を設け、穏やかで優しい人を探しているというのだ。茶に詳しくなくても構わないということだった。
三年間、毎日お茶と共に過ごしてきたが、毎日飲んでいるわけではなかった。まだお茶を理解していなかったので、その楽しみを体得できなかったのである。
お茶をただ商品として扱っている人から学ぶことは少なく、かといってお茶を入れることが神秘的で奥深いと思っている人に心を動かされることもなく、私はお茶に対して、静観する態度を保っていた。
私は仕事がお茶と関係しているため、わざわざ茶葉を研究するところに行って学んだ。科学と技術の観点から、茶葉の変遷の歴史、茶葉の製作、茶文化などを專門課程で学び、茶と中華文化の関わりや日常生活に溶け込んだ経緯を理解した。理性的に物を考える私は茶の研究所で本格的に茶を習得していった。
ある朝、公園でジョギングした後、大きな石の上に一時間ほど座り、身心共に気持ちよくなった。家に帰って思い立ったのがお茶を入れることで、そのお茶を口に含んだ時、初めてお茶が好きになったことに気付いた。
益々お茶が好きになり、毎日飲むようになった。お茶を飲まなかつた私が少しずつお茶を理解するようになり、入れ方も分からなかったのが自分の好みの味を引き出すようになるまでになり、茶は日常生活の欠かせない一部分になった。私はやっと茶道を学ぶ道に踏み出した。
【茶に湯を注ぐ】
ここ数年、慈済に接して仏法に出会い、仏の弟子として「悪いことをせず、衆生の為に善行する」ことを学び、何をして、何をすべきでないかは分かった。職業の選択でも「殺生して業を造る」仕事に就いてはならず、慎重に選んだ。絶えず仏法を聞いて修行し、心を潤すと共に善法を伝授し、自分が積み重ねてきた智慧で、もっと多くの人に広めて行きたいと思うようになったのである。
縁があってお茶に出会い、職業に選び、今ではお茶も法を伝える媒介になればと思っているが、その方法を見付られないでいた。縁が成就したのか、二○一七年、台湾ヘ静思茶道を学ぶ機会が訪れ、「お茶を通して慈済を語る」という小さな期待を持って台湾にやって来た。
新店の靜思堂に着き、至る所で人、事や物が和やかな雰囲気に包まれ、心は美と善の環境に潤された。あらゆる生け花は心して生けられ、道場を荘厳にしていた。そこに足を踏み入れた途端、心が惹きつけられただけでなく、それよりも大切なのは「我が家に帰った」ことに気づいた。
茶道教室の先生たちは皆、精魂込めて授業の準備をし、自分のお茶に対する知識と人生での悟りを結びつけている。慈済に参加して三十年近くなるボランティアが自分の善行の経験と茶道を結びつけた話をした。私は嬉しくなった。なぜならそれを習いたかったからだ。
「茶道における討論と理論」という授業で先生は、「礼儀」の重要性について語り、慈済人文の美と関連付け、内なる道徳修養に回帰するよう呼びかけた。静思茶道は人文と仏法の結合であり、茶道という具体的で現実的な日常生活における芸術を通して、礼儀作法や心の教育及び宗教情操をその中に融合させたものである。
授業最後のティ―タイムに先生は、東方美人という茶葉を用意し、急須の代わりに茶碗を使った。口の大きい茶碗に茶葉を入れて、お湯を注ぎ、八分掛けて静かに茶葉の変化を見るように言った。
私は、茶碗の中で丸まっていた茶葉がゆっくりと伸びて開き、香りが漂ってくるのを見つめた。香りが感じられ、湯気が立ちのぼるのを見た瞬間、心が動かされ、大粒の涙がとめどなく流れた。
何分経ったのか、握りしめていたハンカチが湿っていた。しかし、相変わらず茶に集中し、直ぐには気を落ち着けることはできなかったが、自分の心を省みるだけで精一杯だった。
その時、茶葉が浮き沈みする様子が、まるで今までの自分のように思えてきたのである。良いも悪いも縁により移り変わってきた人生を、私は茶葉の中に見たような感じがした。そして、茶の香りは、人生は輪廻の中の通りすがりに過ぎず、限りある人生を発揮すれば、悔いは残らないことを啓示しているようだった。お茶一杯の光陰に人生が見えた。
【茶の香り】
普賢菩薩が衆生に語る一節がある‥「一日が過ぎれば命は短かくなり、水が少ない魚のように、何の楽しみがあろうか。髪の毛が燃え始めた時のように、大衆は勤勉に精進しなければならない。常に無常観を持ち、放逸してはいけない」。上人は、いつも口を酸っぱくして私たちに「縁を逃さず、精進しなさい」と言い続けている。
精進という二文字がいつも気になっていた。「人間として生まれた人生を如何にして責任を負うか」と考え続けた。私は二十二歳の時に慈済に出会い、二十三歳で仏法に親み、二十五歳で慈済委員になった。その時から仏法を伴った日々の中に暮している。この人生で奉仕し、法を広め、何生にも渡って上人に追従して仏の道を歩むことを願っている。
お茶を通して仏法を伝えることが私の目標である。
今二十九歳、とまだ若い私は、仏の道を歩みながら方法を模索している。静思茶道の授業で私は、上人の「あらゆる物事は無声の説法である」という言葉がよく分かったような気がする。あの一杯の東方美人茶は私に向って説法し、私を菩薩道に導き、悟りを開く道を切り開いてくれたのである。そして仏法が私の心に入り、菩薩道を歩むことが出来るようになった。
四日間の静思茶道の講座で、各地の慈済メンバ―が慈済との縁を分ち合った。担当地区の慈済人が心を込めてスケジュールを立てたのを目にして、慈済世界が正に荘厳な法華の世界ではないだろうかと思った。こんなにも多くの人間菩薩が社会の平和のために、見返りを求めずに奉仕し、異なる時間と場所で福田を耕している。これは、お経に記されている「善男子、善女人」のことであり、善人が慈済に集まり、共に衆生を悟りに導くという悲願を成就させようとしているのである。
茶葉研究所のある先生は、お茶と人間関係が繋っていると言った。「智慧は茶道に役立つ。衆生に慈悲をかける」。それを聞いて私は形容し難い喜びに浸った。というのもそれは私が追い求めてきたことだったからだ。
静思茶道の講座で、仏法と生活が結合していることを体得した。どうやって「お茶を通じて仏法を理解し、社会を平穏にできるか」ということを学んだ。出来れば私の仕事の中でもお茶を取り入れて仏法を伝授していきたい。私が淹れた一杯のお茶で誰かが歓喜し、その善念を啓発することができれば意義のあることである。
そして、お茶を入れる度に、その茶を飲む人が善の念を起こし、幸福と知恵の種子を植えるよう祈っている。もし、縁により、人間菩薩になるのであれば、共に人心を浄化し、平和な社会のために奉仕しようと願っている。
(撮影・謝依静)
(慈済月刊六二二期より)
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