苦難の多い砂漠を清らかに潤す
六十万人を超えるシリア難民のヨルダン滞在は長期化しており、シリア内戦の勃発から七年目に入ったことで、彼らの生活への援助は減る一方となり、故郷へ帰れる希望も薄れている。灰色一色の難民キャンプでは歩いただけで黄色い小石の熱が足の裏を焦がし、人々は人生の中で最も苦難の時期を迎えていた。
苦難はまるで果てしない砂漠のように希望さえ湧いてこない。そのような状況の中、砂漠を行き来して、清水を運び一滴一滴と潅漑している人達がいる。彼らはここがいつかオアシスに変わる日を信じているのだ。
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●ヨルダンのアズラク難民キャンプは砂漠地帯にあり、4万人余りのシリア人を収容している。周囲には鉄条網が張り巡らされ、出入りは自由ではない。 |
またとない生計のチャンス
国連の統計によると、現在ヨルダンに収容されているシリア難民の数は60万人を超えている。キャンプにいても生活の拠り所がない。運が良ければ、農場でトマトを採集する短期の日雇いはあるが、日給は8から10米ドルに過ぎない。しかも農産物の成長には季節性があり、収穫時期でも毎日仕事があるとは限らない。ヨルダンにいる慈済人は農場へ行き、生活に困っている民衆に何かできることはないかと調査した。
苦難に踏み入る
慈済施療チームは2018年7月にヨルダンで5回目の施療を行い、2400人余りの難民と貧困者を診察した。その中の一回がアズラクで実施され、チームは医療資源の乏しいキャンプに入り、できるだけ多くの人を助けようと努力した。
医療を渇望する緊迫した空気
難民研修センターで行なわれた施療に多くの患者が押し寄せた。皆、緊張した面持ちで入り口にある受付窓口に詰めかけ、狭い空間がさらに熱気に包まれた。
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●アズラクの難民キャンプでは医療設備と医療人員の欠乏が深刻で、難民は有効な医療を受けられないため、慈済の施療に期待を抱いているのだ。その眼差しは、病気の苦しさを訴えている。
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混乱が起きそうな状況を見て、重大救急医療及び災害医療が専門の大林慈済病院救急外来主任の李宜恭医師は直ちにアラビア語と中国語ができる通訳者のモハメッドさん(Mohammad Khwaileh)を連れてくると受付に座らせ、簡潔に皆に説明した。「全ての人はまず私の所を通過してから中へ入って下さい」。
その行動はメキシ地震の被災地で施療を行った時の経験によるもので、李宜恭医師は受付で患者の傷を見て分類することで、それぞれの医師の診察人数が平均化された。そして、診察室がいっぱいになると、受付で人数をコントロールした。また、彼は手元に常備薬を置き、軽い症状の患者にはその場で薬を処方した。アラビア語は分からなくても、目の前にいる患者の顔を真摯に観察し、ボランティアの通訳に耳を傾ける李医師には「救急医」として、患者の表情や仕草などを細かく観察する習慣が身についているのだ。その分かりやすい指示に受付に詰めかけていた人々は落ち着き、静かに待合室で座って待った。
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●マフラク省の境に近い砂漠地帯では、難民キャンプの外で数百世帯の難民家族が医療及び物質の補助を必要としていた。慈済の施療チームは車両を手配し、住民達を診療に連れて行った。
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●整形外科の葉添浩医師(左)と一般内科の簡再興医師(右)は合同で一人一人の患者の病苦を取り除いていった。 |
理解とは相手の痛みを自分の痛みとすることであり、それは優しい心に発するものである。ある時、このような場面が歯科で起こった。ある若者が緊張した面持ちでベッドに横になっていたので、夏毅然医師は急がず、まず優しく彼に「御飯はまだでしょう?」と尋ねた。そして台湾から持参したビスケットを差し出し食べてもらった。血糖値が低いままだと歯を抜いている間に過剰な緊張によって眩暈が起きるからである。若者は戸惑っていたが、言われた通りクッキーを食べ水を飲んだ。
治療が終わると、若者はボランティアの通訳を通じて夏医師に、「慈済は自分を一人の人間として接してくれた」と感謝を伝えた。この言葉に夏医師は目頭が熱くなった。「患者を尊重するようにという證厳法師のお言葉を守ったのです。この一言を聞くことができただけでも、ここへ来た甲斐がありました!」
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●施療に子供を連れて来るのは殆どが女性だった。アラビアの社会では、女性はマイノリティである。今回は腹部超音波の検査が追加され、疲れ切った母親達に精密な治療を施すことができた。
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●マフラク省の研修センターでの施療では、多くの若い母親が子供を連れて来ていた。小児科医林玉英は小さい子供に細心の注意を払って検査を行なった。 |
葉添浩医師が遥々台湾から持ち込んだ腹部エコー機器と心電図の機械は最も重宝がられた。産婦人科の待合室では長い列ができ、医師達も列を作って使用する順番を待っていたほどだ。葉医師は朝から晩まで休む間もなく、内科の中にある小さい机やプラスチックの椅子でしゃがんで患者に麻酔薬を施したり、歩行を妨げる肉腫を切り取ったり、手早く血に染まるガーゼを取替えて傷口の縫合した。「手術ゾーン」を通りかかった人は皆、静かに歩くようになった。
施療が始まった当初、簡再興医師は自分に対して「施療の意義は何だろうか。難民にどんなことをしてやれるだろうか」と問いかけたことがあった。銃に撃たれて痙攣していた腕が真っ直ぐに伸ばせるようになった患者を見て、「施療が単なる医療に終わらず、希望も与えるのだと分かりました。難民達が一番必要としているのは彼らに関心を持つことであり、正にそれを行っているのです」と悟ったのだという。
撮影ノート
◎文&撮影・蕭耀華 訳・本諦
国が災難に見舞われると、生きるために家族を連れて急ぎ故郷を離れ、見知らぬ土地で生活しなければならなくなる。異郷に居るからには、生活の全て、飲食や住む場所などを他人に頼るしかない。
頼る人もなく、お金が無くなった上に、子供が病気で倒れた。ヘルニアで入院して手術を受ける必要がある。手術の費用は台湾ドルで何千元から二、三万元で、決して高くはないが、それでもあては無いのだ。生活が苦しい上に子供が体を壊すという二重苦に見舞われ、母親としてどうすればいいのか、その表情はヒシャブに隠されて見えないが、彼女の心に寄り添って考えれば、その焦る気持ちは伝わって来る。その輝く瞳に不安な心が宿っている。
助けを求めても報われない時、遥か千里の道を越えて異国の人たちが助けの手を差し伸べている。無条件で、何も求めず子供達の医療費を肩代わりし、生活にも関心を寄せてくれる。その場で目撃しなければ、それはまるでおとぎ話と思われるかもしれない。しかし、人の世にもこのようなことが起こるのだ。
それはおとぎ話ではない。功利主義や物質主義が横行する中でも、出来る限りのことをして人を助け、人間の本質を実践する人は存在する―天下は皆家族であり、溺れる人を助けることが人間の本性であるからだ。
写真はシリア内戦が五年目に入り、戦乱が真っただ最中の二〇一六年五月に撮影されたものである。撮影場所はシリアの隣国ヨルダンのアンマン地区にある病院の中である。シリアからやってきた母親は自分の子供を抱いて、診察と手術を待っていた。私は現地の慈済ボランティアに伴われて、やっと彼女に近寄ることが出来た。
イスラムの世界ではムスリムの女性が家族以外の男性との接触を禁じられていることはよく知られている。外国人がカメラでムスリムの女性を撮影することは失礼極まりない冒涜の行為として見られてしまう。だが私が彼女を撮影したいと申し入れると、拒否はされなかった。撮影の理由は分かっていなくとも、私が面白半分に撮影したいわけではないことを彼女は信じてくれたのだ。
もちろん我々は面白半分で来たわけではなく、撮影を通じて、この世界がつながっていて、どこ行っても苦難に喘ぐ人々がいることを読者に知らせたいと思っているのである。また、是非を問わず自分の能力を発揮し、人々の生活を改善させようとする、そのような行為こそ人道精神を表わしているのではないだろうか。
このような人道精神を持つ人々が、台湾では少なくない。だからこそ、憂いに満ちた母親は撮影を許したのである。
(慈済月刊六二四期より)
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