新年、慈済斗六クリニックが昇格して正式に慈済斗六病院に名を改め、台湾で七つ目の慈済病院となった。證厳法師自らがオープニングセレモニーを主催し、人道的に患者に接する医師たちとそれを護持する慈済人に感謝した。
大林慈済病院は慈済医療志業の中でも全台湾で最も高齢化した雲林と嘉義地域を見守って既に二十年近くになる。斗六市と大林慈済病院は車で僅か三十分の距離だが、患者の殆どが高齢者であるため、法師は彼らの病院に出かける苦労を思い、大林慈済病院設立の際に斗六市にも外来を設立するよう指示したのだった。
本期月刊誌の特別報道で紹介しているが、斗六クリニックは長年、大林慈済医院が後ろ盾となり、近隣の雲林や南投県、市の医療拠点であるだけでなく、多くの重症患者が治療に来ている。しかし、そこの医療設備には限りがあり、精密な検査や治療ができないため、慈済は地方の要求に応えてクリニックを拡充し、病院に昇格したのである。
以前、斗六クリニックは慈済が僻地で医療奉仕する拠点で、医療スタッフは無医村で施療と衛生教育をしていた。今では社会の趨勢に従って地域型長期ケアが行われている。去年発生した八二三熱帯性低気圧による水害では、台湾全土の慈済医療チームの被災地の駐屯場所として、ボランティアと共に家々を回って被災医療サービスを提供した。現地の医療ネットワークもでき、平時から長期ケアを展開している。
時は全てを成就させてくれるため、何事とも争う必要はないが、時間とは競争しなくてはならない。一分一秒も無駄にせず、善の念を行動に移してこそ、人を利する善業を積み重ねることができるのだ。
法師は昨年から、二十年前の九二一大地震のことを忘れてはならないと再三言ってきた。その年は世界中で災害が頻繁に起きたが、慈済ボランティアはトルコ大地震災害支援のために街頭募金を行っていた時、「外国を救済して、台湾を疎かにしている」と誤解されたことがある。暫くして台湾が大地震で被災したが、その時世界各国から救援隊が台湾に来て支援し、民衆も自発的に人力、物資を集めて被災した同胞を支援してくれた。
そういう愛で互いに助け合う感染力は《法華経》の中で言う、「菩薩が地から湧き出づる」様子が現実となったような感動的な情景だった。慈済は重大災害支援のモデルを打ち立てたばかりでなく、重被災地に五十一ヶ所の小中学校の支援建設を請け負った。当時被災した生徒は今、教師として母校で教鞭を取っている。人生体験が最高の教材であり、生徒に感謝と恩返しを教えることができると彼は言っている。
九二一地震後、善念や善行が増え、多くの人がその時に発心し、後に生命を護る盤石を形成した。そこに「善因を啓き、善の種を蒔く」ことが如何に重要であるかがうかがえる。これがいつまでも発願すべき人生の方向なのである。
(慈済月刊六二七期より)
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